「プレリュード・ノン・ムジュレ(拍子のない前奏曲)」は、17世紀フランスのクラヴサン音楽における最も独創的で、かつ謎めいた形式ですね。
楽譜から小節線が消え、全音符(白玉)だけで書かれたり、複雑な曲線で音のつながりが示されたりするその姿は、一見すると現代音楽の図形楽譜のようでもあります。この形式の魅力を、いくつか掘り下げてみます。
1. 旋律ではなく「響き」を奏でる
この形式のルーツは、さらに古い時代のリュート奏法にあります。リュートは音がすぐに減衰するため、和音をバラバラに弾く「スティル・ブリゼ(分散様式)」で響きを持続させていました。
クラヴサンにおいても、特定の拍子に縛られるのではなく、**「その調性(モード)がいかに美しく響くか」**を確認するために、即興的に指を動かしたのが始まりです。
2. ルイ・クープランとボーアン写本の特異性
ボーアン写本に収められているルイ・クープランのプレリュードは、そのほとんどが「全音符のみ」で記譜されています。
演奏者の自由: 音の長さ、休止、どの音を保持し、どの音を響かせるかは、すべて演奏者の修辞的(レトリック)な判断に委ねられています。
「響きの彫刻」: 和声の不協和音をあえて長く引き延ばしたり、解決を遅らせたりすることで、当時の調律(ミーントーンなど)特有の「うねり」を最大限に引き出すことができます。
3. ダングルベールによる進化
時代が下ると、ダングルベールやルベーグは、もう少し具体的なリズムのヒントを書き込むようになります(黒い音符の混在)。
特にダングルベールは、装飾音を極めて緻密に指定しました。自由な時間軸の中に、宝石を散りばめるような細かな装飾を施していく作業は、当時のフランス宮廷の美意識そのものです。
4. 教会旋法(モード)との関連
この時代のプレリュードは、しばしば「第1旋法のプレリュード」といった具合に、長短調ではなく旋法に基づいた性格を強く持っています。
特にルイ・クープランの作品では、古い旋法の色彩が色濃く残っており、平均律では味わえない「特定の音程が持つ緊張感」を、拍子から解放された自由な空間で味わうことができます。
クラヴサンを実際に弾かれる際、この「拍子のない」楽譜を目の前にすると、どこで息を継ぎ、どこで音を溜めるかという、まさに**「楽器との対話」**が求められるかと思います。
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