Q:
ダングルベールのト長調の組曲を練習している。
プレリュードから始まってアルマンド、クーラント、その後の舞曲が続いている。
練習方法としては、プレリュードが弾けるようになってからアルマンド、アルマンドが弾けるようになってからクーラント、そのように進めるべきなのか、各曲ともある程度さらったら次の舞曲もさらい始めるほうがいいのか。
A:
後者の「各曲ともある程度さらったら次の舞曲にも手を広げ、並行して深めていく」進め方を強くお勧めします。
ダングルベールのようなフランス・バロックのクラヴサン組曲においては、1曲ずつ完結させてから次へ進むよりも、複数を並行して進める方が音楽的にも技術的にも多くの利点があります。
主な理由は次の3点です。
1. プレリュード・ノン・ムジュレと舞曲の相互作用
プレリュード・ノン・ムジュレ(無小節プレリュード)は、厳密な拍節がない分、和声の骨格(低音の進行と不協和音の緊張・解決)をどう把握し、どのように即興的に響かせるかという高い音楽的判断が求められます。
これを最初から「弾けるようになるまで」と突き詰めてしまうと、基準となるテンポ感がないため袋小路に入りやすくなります。むしろ、明確な拍節とリズムの骨格を持つアルマンドやクーラントをさらい、ト長調の響きやダングルベール特有の濃厚な和声感を身体に馴染ませてからプレリュードに戻る方が、バスの進行やアルペジオの崩し方(スティル・ブリゼ)の呼吸が自然と見えてきます。
2. 組曲全体のアフェクト(情動)とテンポの対比
組曲は、調性を共有しながらも各舞曲が異なる性格(アフェクト)とリズム構造を持って対比されることで成立しています。
- アルマンド:重厚で語りかけるような装飾的なポリフォニー
- クーラント:3/2拍子と6/4拍子の交錯(ヘミオラ)による軽妙な緊張感
- サラバンド:荘重な沈潜と深い響き
1曲だけに閉じこもって練習していると、テンポ設定やアーティキュレーションがその曲単体の中で極端になりがちです。各曲を並行してさらうことで、「アルマンドに対してクーラントをどのテンポとタッチで対比させるか」といった組曲全体のプロポーションが明確になります。
3. ダングルベール特有の装飾語法の定着
ダングルベールの楽譜は、装飾音記号(シェット、ピンセ、ポ・ド・ヴワ、トレブルマンなど)が極めて緻密かつ徹底して書き込まれています。
ある1曲の中だけで装飾を消化しようとすると指が固まりがちですが、複数の舞曲を横断してさらうことで、「この音型での装飾の掛け方」「装飾を旋律の推進力にする感覚」が共通の語彙として指と耳に定着しやすくなります。
おすすめの練習ステップ
- 第1段階:骨格の把握(全曲を浅く通す)
- まずは過密な装飾記号に囚われすぎず、低音(バス)と旋律のライン、和声の変わり目を把握します(場合によっては細かい装飾を少し間引いて骨格を鳴らしてみるのも有効です)。
- 運指の基本を決め、各舞曲のリズムのキャラクターを掴みます。
- 第2段階:装飾の統合と舞曲の対比(並行して彫り込む)
- 装飾記号を完全に組み込み、打鍵のニュアンスやリュート風の崩し(ズレの美学)を磨きます。
- クーラントのヘミオラや、アルマンドの繊細なポリフォニーの弾き分けを深めます。
- 第3段階:プレリュードの解放と組曲の通し
- 舞曲群を通過した耳で、冒頭のプレリュードを「この組曲の響きを解き放つ試奏」として自由に鳴らしてみます。
- プレリュードから舞曲へと繋がる全体の流れを整えていきます。
完全に弾き込めていなくても、6〜7割程度譜読みと運指の目処が立った段階で次の曲へ譜読みを広げ、日々の練習で「今日はアルマンドとクーラント」「プレリュードとサラバンド」のように巡回させながら熟成させていくのが、組曲の統一感を掴む上でも自然です。
Q:
最初からイネガルで練習したほうがいい?
A:
A:
最初からイネガルを意識して(指と耳に不均等の感覚を持たせて)さらうことを強くお勧めします。
「まず均等(エガル)で指に覚え込ませてから、後からイネガルを適用する」という手順を踏むと、フランス・バロック特有の自然な語り口を損ないやすくなります。
理由は主に次の3点です。
1. 「筋肉記憶の書き換え」による硬さを防ぐ
最初にメトロノームのような均等なリズムで指の筋肉記憶を作ってしまうと、後からイネガルをかけようとした際に、どうしても機械的な付点(3:1 や 2:1 の硬いリズム)になりがちです。
フランスのイネガルは数学的な比率ではなく、言葉のイントネーションに近い伸縮(わずかに長めに置く「ルレ lourer」から、鋭く弾む表現まで)です。最初から「重い音(強・長)」と「軽い音(弱・短)」の対比として指を動かしておく方が、自然で優雅なしなりが生まれます。
2. クラヴサンのタッチと運指に直結している
古指使い(3-4-3-4 や 2-3-2-3 など)やクラヴサンの発音機構において、イネガルは「どの指で鍵盤の深さを捉え、どの指で軽く抜くか」というタッチの重みとリリースの呼吸そのものです。
均等に弾くための手の重心の保ち方と、イネガルで歌うための手の使い方(手首や腕の脱力)は本質的に異なります。最初からイネガルを想定したタッチで触れておく方が、楽器の響きを損ないません。
3. 和声的な「良い音(bon)」の知覚
イネガルの長くなる音(1音目、3音目…)は、旋律線の中で和声的に重要な音や協和音(あるいは倚音)であることが多く、短くなる音(2音目、4音目…)は経過音的・装飾的な役割を果たします。
最初からイネガルで弾くことで、「どの音が和声の骨組みで、どの音がその間を渡る空気なのか」を耳が正しく認識できます。
実践上のコツ:破綻を防ぐ2つのポイント
最初からイネガルで弾く際、リズムが崩れてルーズになってしまわないためには、以下の手順が効果的です。
- 装飾音を外して「骨格のイネガル」を歌うダングルベールは装飾記号が極めて多いため、装飾音とイネガルを同時にこなそうとすると指がもつれ、リズムが崩壊します。まずはトレブルマンやピンセを一切弾かず、音符の骨格だけを取り出して、声で歌うようにしなやかなイネガルで弾く練習を徹底します。
- 大拍(パルス)は揺らさないイネガルはあくまで「分割された音符の内側」での伸縮です。拍の頭(小節内の大きな拍)そのもののテンポは厳格にキープし、その枠組みの中で2つの音の比率をたわませる感覚を保ちます。
Q:
装飾音は最初から入れて練習したほうがよいとの意見もあるが、イネガルの説明のところでは装飾音を外して弾けと書いてる。
装飾音は最初から入れて練習したほうがよいとの意見もあるが、イネガルの説明のところでは装飾音を外して弾けと書いてる。
A:
ご指摘の通りで、この2つは一見すると真っ向から矛盾して見えますし、実際にバロック音楽の演奏指導でも流派や指導者によって意見が分かれるポイントです。
なぜ「最初から装飾音を入れて練習すべき」と言われるのか、そしてなぜ前述で「装飾音を外す練習」を挙げたのか、その意図と実践的な使い分けを整理します。
「最初から装飾音を入れて練習すべき」という意見の正当性
この主張は、フランス・バロック音楽の本質において完全に正論です。主な根拠は以下の2点にあります。
- 運指(フィンガリング)が破綻するフランス・バロックの装飾音(特にトレブルマンやピンセ)は音数が多く、指の自由度を大きく制限します。装飾音を抜いて運指を決めてしまうと、後から装飾を足した瞬間に「指が足りない」「手のポジションが合わない」状態になり、ゼロから指使いを練り直す羽目になります。
- 装飾音は「おまけの飾り」ではなく「和声・拍節そのもの」トレブルマンの開始音やシェットは倚音(不協和音)であり、拍のアクセントそのものです。骨格の音だけを弾いていると、本来響くべき和声の緊張と解決が耳に入らず、音楽の表情が変わってしまいます。
では、なぜ「装飾音を外す」アプローチが必要になるのか
前述で「装飾音を外して骨格のイネガルを歌う」と書いたのは、曲を仕上げる手順として装飾を後回しにするという意味ではなく、「リズムの交通整理をするための一時的な診断ツール(リセット作業)」としての提案でした。
特にダングルベールにおいてこの作業が有効になる理由は次の通りです。
- ダングルベール特有の装飾過密クープランやラモーに比べても、ダングルベールの装飾記号の多さは異常な密度です。最初からすべての装飾音を鳴らそうとすると、多くの奏者が「装飾の打鍵をこなすこと」に脳と指のメモリを奪われ、大拍(パルス)が止まったり、16分音符のイネガルがぎこちない「突っかかり」になったりします。
- 「イネガルの波」と「装飾の運動」の主従関係本来は「しなやかに流れるイネガルという川の中に、装飾音が木の葉のように浮かんでいる」べきところ、装飾音を弾く運動に引っ張られて川の流れ自体がせき止められてしまうことが多発します。そのため、「川の流れ(骨格のイネガル)が本当に生きているか」を耳で確認するために、あえて一時的に装飾を間引いて鳴らしてみる作業が劇的な効果を生みます。
実践における統合:どう進めるべきか
結論としては、「基本姿勢は最初から装飾込み」で進めつつ、「指がもつれたりリズムが崩れた時の修正ツールとして一時的に外す」という両立が最も現実的で破綻がありません。
- 運指の決定:最初から装飾音込みで決める譜読みの段階では、装飾音をすべて含めた状態で無理のない指使いを確定させます。
- 流れの確認:もつれたら装飾を外して「呼吸」を取り戻す練習中に「テンポがぐらつく」「イネガルが機械的な付点になってしまう」「拍頭が重すぎて進まない」と感じた箇所だけ、装飾音を外して骨格音だけのイネガルを声や指で柔らかく歌い直します。
- 再統合:骨格のグルーヴの上に装飾をそっと戻す流れが身体に入ったら、先ほど決めた運指で装飾音を戻します。このとき「装飾を弾く」と力むのではなく、「骨格音の響きの中に装飾の振動を溶け込ませる」感覚で重ねます。
「最初から入れる」を大原則(戦略)としつつ、「一時的に外して整える」を技術的な処方箋(戦術)として使い分けるのが、ダングルベールの濃密な譜面を美しく解きほぐす最短ルートになります。
Q:
ダングルベールの曲はどうしても親指でシャープキーを弾かないと弾きづらい箇所が時々ある。
A:
ダングルベールの作品を弾いていると、まさにその「親指でシャープキー(変形鍵・半音鍵)を取らざるを得ない問題」に必ず直面します。結論から言えば、ダングルベールにおいては無理に古運指の原則(親指を黒鍵に乗せない)に固執せず、必要に応じて親指でシャープキーを弾いて全く問題ありません。
むしろ、ダングルベール特有の濃密なポリフォニーや内声の保持を破綻させないためには、親指を黒鍵に載せるアプローチが不可欠な場面が多々あります。
その背景と、楽器上でタッチを崩さないための実践的なポイントを整理します。
なぜダングルベールで親指の黒鍵打鍵が起きるのか
- 極めて広い手の拡張と多声部の保持シャンボニエールやルベーグらの時代は、2・3・4番の指を中心とした運指で十分に収まるテクスチュアが基本でした。しかしダングルベールは、リュートの書法(スティル・ブリゼ)を極限まで鍵盤上に移植した結果、バスを保ちながら内声を繋ぎ、さらに高音部で装飾を回すという、10度近い手の開きや複雑な声部の交差を要求します。親指を黒鍵から排除しようとすると、他の指に無理な捻じれが生じて打鍵が遅れます。
- ダングルベール自身の手の大きさと書法ダングルベールの譜面は、彼自身の卓越した技巧と比較的大きな手を前提として書かれたと言われています。クープランが後に『クラヴサン奏法』(1716年)で「親指をより頻繁に、また黒鍵にも使うことの利点」を公式に認めていく過渡期の頂点にダングルベールが位置しており、実質的にはすでに近代的な鍵盤の使い方に踏み込んでいます。
チェンバロの鍵盤で親指を黒鍵に乗せる際のポイント
チェンバロの鍵盤は現代ピアノに比べてキーの奥行き(白鍵のフロントや黒鍵の長さ)が短いため、親指をシャープキーに乗せると「他の長い指(2・3・4番)が黒鍵の奥の隙間に押し込まれ、鍵盤が上がりにくくなる」という物理的な問題が起きがちです。
これを防ぐためには以下の弾き方が有効です。
- 手全体を思い切って「奥」へ進める(イン・ポジション)親指だけを無理に伸ばして黒鍵に届かせようとすると、手首が下がり、親指の付け根が固まります。手首の高さを自然に保ったまま、前腕ごと手全体を鍵盤の奥へ一段滑り込ませるように位置取ると、2・3・4番の指が黒鍵の間(細い白鍵部分)に自然に収まり、指の独立性が保たれます。
- 親指の「腹」ではなく「先端の角(側面寄り)」で捉える親指をベタッと寝かせて打鍵すると、隣の白鍵に触れたり、クラヴサン特有の繊細なプラック(プレクトラムが弦を弾くポイント)の感触がぼやけます。親指の第一関節を軽く保ち、指先の骨の感触で鍵盤のフロントエッジを的確に押し下げる感覚を持ちます。
- アルペジェ(崩し)による手の解放和音や複数の声部が重なる箇所で親指の黒鍵が絡む場合、無理に完全な同時打鍵を狙わず、ごくわずかに低音や他の声部からずらして発音(スティル・ブリゼ)させることで、手を一瞬脱力させる時間を作れます。ダングルベールの語法において、この分散は音楽的な装飾としても完全に理にかなっています。
- もう片方の手への声部受け渡し(パルタージュ)の再確認どうしても片手の中で指が詰まる場合は、左手(あるいは右手)の空いている指でそのシャープキー、あるいはその隣の内声を引き取れないか検討してみる余地もあります。当時のフランスのクラヴサン奏者たちは、楽譜の見た目にとらわれず、左右の手で声部を柔軟に融通し合っていました。
歴史的な「原則」を重んじるあまり旋律が途切れたり不自然なアクセントがつくよりも、声部のレガートと良き趣味(le bon goût)を保つために親指を黒鍵に載せることは、当時の名手たちの実践精神にも適っています。無理のない自然な手のフォームを優先させて進めてみてください。